
人はだれもが美しい愛を望みます。はじめは、心が騒ぎ幸せなものです。しかし、時の経過とともに、人は嫉妬と憎悪で傷つけ合うようになり、その記憶に苦しめられることになります。私はそういった「愛」に関する物語を、“夢”と“夢遊病”をテーマに作りたかったのです。
この映画は、夢の中で“過去”“現在”“未来”が交差します。そして、愛するということは、他人の記憶ではなく、自分の記憶と闘うことだということを表現しています。愛する人たちすべてが、そんな記憶の夢を見ながら生きていくことを、私はこの映画を通じて言いたかったのです。
オダギリ ジョーはとてもすばらしい俳優でした。私の映画がどのようなものなのか、彼は既に知っていて、そのことにより私は撮影中に安堵の気持ちを覚えました。最初は、彼とイ・ナヨンがお互いの国の言語をしゃべるなんておかしいのではないかと思いました。しかし、大事なのは言葉ではありません。相手の気持ちを感じ、心を込めて会話をすれば、お互いが十分に分かり合える。撮影をしながら、私はそのことに気づきました。
『悲夢』は私たちにとって必要不可欠な映画です。傷つきながら愛を知った人、いまだに昔の恋人が忘れられない人、二度と会いたくない人物がいる人、そしてまだ愛を知らずにいる人。すべての人が必ず一度は観なければならない映画だと思っています。愛は美しいものではありません。苦痛を経験することが愛なのです。『悲夢』は、ポップコーンとともに映画を楽しむような人たちには、敬遠される映画かもしれません。しかし、愛の苦しみをいまだに忘れられないような人には、この“夢の旅”を通じて、“昔の恋人に会う”という神秘的で幸福な体験が訪れるはずです。
私は大衆が満足する映画を作るのではなく、私が人生の中で感じたことを映画にしたいと思っています。それを観て、共感してもらえる人たちに会いたいのです。それがたとえひとりでも100人でも、数はまったく重要ではありません。多くの人が映画は娯楽だと考えていますが、私にとって映画とは過去の苦痛と和解するための手段です。また、未来へと向かう門でもあるのです。したがって、私は映画を作ることで満足したり成功を収めたりすることが重要だとは思っていません。どこかでだれかが私の映画を観て、夢を見てくれればうれしいと思っています。
韓国で、日本で、ヨーロッパで、そしてアフリカをはじめとする世界各国で、私の映画を観て、“同じ時代”“同じ悲しみ”“同じ幸福”同じ快感”を共有できれば私は幸せです。
「ふたりはひとりなのです。白と黒は同じ色なのです。愛する人はあなたの鏡なのです」